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大阪府 |
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私部2・代官屋敷と山根街道(交野市) |
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交野市私部に国の重要文化財に指定された北田家住宅がある。領主だった旗本・畠山氏の代官を務めたことがあり、地元では「代官屋敷」と呼ばれている。敷地の広さは4000平方メートル、巨大な表門(長屋門)は長さ56メートルもあるが、門の前を通る山根街道の幅は極めて狭い。そこを自動車がすり抜けるように通る。(私部地区のうち、北田家住宅と山根街道関連のスケッチをこのページに掲載) |
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山根街道F(交野市私部1丁目)21.04.01 F6 |
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交野市での浪漫会スケッチ会にはコロナ禍にもかかわらず男女ほぼ同数の10人余が参加した。スケッチポイントを書き込んだ地図を配り、皆さんを案内、代官屋敷付近へ案内すると、大先輩のMさんが山根街道の塀際に座られたので、私もその後方に座った。それこそ何回描いたか分からないほどのポイントだが、「今日は案内役」と自らに言い聞かせることにした。 |
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山根街道E(交野市私部1丁目)2020.01.20 F6 |
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新年ご近所スケッチの続き。前年の1月もこの辺りで描いている。代官屋敷と呼ばれる北田家住宅の横を通る山根街道へ行った。何回も描いているポイントなのだが、やはりこのアングルが気に入っているので、また描く気になった。塀から覗いている木は何の木か知らないが、記録破りの暖冬らしく芽が大きく膨らんでいた。 |
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山根街道F(交野市私部1丁目)2020.01.20 F6 |
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山根街道の同じ場所で、道の反対側のアングルも面白いと思い、続けて描くことにした。こんな狭い道なのに軽自動車ならいざ知らず普通車がやってくる。しかし、塀際は少しだけ段差があり、車が入らないように石が並べてある。石と石の間に座ると、通行の邪魔にならずスケッチできる。描いているうちに気が付くと、いつの間にか空には厚い雲が広がっていたので、これを機に引き揚げた。 |
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山根街道G(交野市私部1丁目)2020.01.20(ペン画試作C) F6 |
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山根街道の同じ構図をペン画にしてみた。年末からGペンやミリペンなど筆記具をいろいろ試したが、ホルベインの「水性顔料インク・スケッチライナー0.1ミリ」と「同0.05ミリ」で描いたところ、ペン先の細さは十分なことが分かった。別のメーカーで0.03ミリという商品もあるみたいだが、とりあえずこれで満足することにした。ただ、表現法などについては今後の課題である。 |
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私部の路地(交野市)2019.03.05 F6 |
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3月7日に浪漫会スケッチ会が交野市私部地区で開かれる予定で皆さんを案内することにしていたが、雨予報のため早々に中止となった。ところが予定日前々日の5日は見事に晴れ上がったので、午前中の空き時間を利用してスケッチしてきた。私部5丁目にある無量光寺というお寺横の細い路地を門前を通る山根街道からで描いたが、このポイントは”定員一人”なので、スケッチ会では多分案内しなかったと思う。 |
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私部1丁目B(交野市)2019.01.16 F6 |
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古い町並みをスケッチ対象としてみた場合、建物が建て替えられるなど悪くなることはあっても良くなることは決してない。このポイントは旧山根街道との交差点に面しているが、これまで道幅が狭くて描きにくかった。ところが交差点の角の家が取り壊されて駐車場になっており、いかにもスケッチしやすい場所に変身していた。滅多にないケースである。 |
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代官屋敷と山根街道(交野市)2019.01.16 F6 |
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ページのタイトルにもしている通り、これが私部地区を代表する景色である。北田家住宅は代官屋敷と呼ばれ、長大な長屋門や母屋などが国の重文に指定されている。しかし今回行ってみると屋敷の南側の塀(塀は重文ではないが・・・)の瓦がずいぶんたくさん壊れて、ブルーシートが掛かったままになっていた。この絵は北側から描いたが、塀の壁が大きく剥げている。多分、昨年の地震か台風の被害だと思う。寒い中で描いていると、小学生が下校してきた。すでに点景としてお婆さんの後ろ姿を描き込んでいたが、それを消して描き直した。 |
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山根街道D(交野市私部1丁目)16.11.06 F6 |
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「河内を描く美術の会」スケッチ会では、地元なので自転車で集合場所まで行った。世話役といっても何もしていないため、せめて皆さんのスケッチ姿を写真に収めようと、自転車でウロウロした。しかし皆さんはあちらに1人こちらに1人と狭い路地の好みの場所に散らばっておられ、全容は分からない。一応一回りしてから、私自身も気に入っている「山根街道」で2枚目を描いた。その姿を絵に描き込みはしなかったが、電柱の向こう側でNさんが描いておられた。 |
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私部1丁目の路地A(交野市私部1丁目)16.11.06 F6 |
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「河内を描く美術の会」スケッチ会での3枚目。私部地区の道は極めて幅が狭いが、この路地がその筆頭だろう。下に00年に描いた同じ路地の絵がある。隣の路地を最近入会したばかりのSさんが油の20号で描いておられ、もうほぼ完成している。現場で油絵を描く人は無条件で尊敬する。こちらは時計をにらみながら集合時間までに急いで鉛筆スケッチだけ。路地の向こうでIさんが描かれていた。 |
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「無量光寺」あたりA(交野市私部5丁目) 2015.03.28 F6 |
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悠彩会スケッチ会の幹事役が私に回ってきたので、土地勘がある交野市の私部地区を開催地に選んだ。おかげさまで参加者は18人にもなり、幸い晴天で気温20度という願ってもないスケッチ日和となった。幹事役はけっこう気を遣うが、皆さんがそれぞれのスケッチポイントに落ち着いたようなので、私自身も山根街道沿いの無量光寺あたりを描くことにした。先日下見をしたときには、お寺は改装工事中だったが、工事は終わっていた。交差点の手前が空き地になっていて引きが取れ、そのうちに何か建物ができれば二度と描けないアングルだと思いながら描いた。私の前にひまつぶしさんもやって来られ、「電柱の様子が面白い」と言いながら、ほぼ同じアングルで早くも2枚目を描かれていた。 |
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私部1丁目A(交野市) 2015.03.28 F6 |
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今回の悠彩会スケッチ会に備えて私部地区のスケッチポイントマップを手作りした。マップには私自身がスケッチしたことのある場所を矢印で書き込んだが、やはり代官屋敷と呼ばれている重要文化財・北田家住宅とその前を通る山根街道で描かれたメンバーが多かった。その山根街道を歩いていくとNさんとKさんが、狭い道をすり抜けてくる車を避けながら苦労して描いておられるので、私もご一緒して2枚目を描いた。私部1丁目と2丁目の境目のこのあたりには豪勢な住宅がひしめいており、↓に00年に描いた絵がある。 |
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山根街道C(交野市私部1丁目)2014.08.20 F6 |
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天候不順だったり暑かったりで、なかなかスケッチに出かける気分にならず、また絵の在庫が底をついた。幸いこの日はよく晴れ上がっていたので、近所で描くことにし、深い日陰があるという理由から、代官屋敷の長屋門が見える山根街道に座った。電柱の陰に身をひそめていたが、狭い道を後ろからタクシーがやってきたのには驚いた。 |
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山根街道B(交野市私部1丁目)2012.07.08 F6 |
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枚方市の釈尊寺でスケッチした帰り、何だか物足りないような気がして、土地勘のある交野市私部でもう1枚描くことにした。地区内を通り抜ける山根街道の道端に座って描いていると、向こうからいかにもよく知っている人が単車に乗ってやってきた。地元でスケッチするとこういうことがあり、ちょっと気恥かしい思いをする。 |
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私部の正月(交野市私部1丁目)11.01.06 36×51cm |
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「描き初め」の一環として昨年に続き、代官屋敷を描きに行った。ところが晴れていた空が急に曇り、時々雪まじりの雨が降ってくる。寒さに耐えきれなくなり、何とか鉛筆スケッチを終えた段階で帰り支度をしていると、通りがかりのご婦人が「あら、もうお帰りですか。あまりにも寒そうなのでそこでこれを買ってきたのに」と缶コーヒーを差し入れてくれた。「申し訳ないですね」と言いながら、実はちょっと切迫した事情はあったのだが、その温かいコーヒーをありがたく頂戴した。 |
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山根街道A(交野市私部1丁目)10.01.06 F6 |
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暖かい日になったので、2010年の描き初めに代官屋敷あたりへ行った。3年前に描いた下の絵の場所を、ちょうど反対側から描いた。 |
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「無量光寺」あたり@(交野市私部5丁目)08.06.06 36×51cm |
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地元ケーブルテレビ「K−CAT」の「街角トレジャーハンター・交野市」の番組に、私が取り上げられることになり、スケッチ場所として、お寺の土塀が続く私部5丁目の山根街道を選んだ。道端に座ってスケッチしていると、美人レポーターがやってくる−−という仕掛けになっていた。 |
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山根街道@(交野市私部1丁目)07.02.19 36×51cm ●07河内展 |
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交野市内を「山根街道」という古い街道がくねくねと通り抜けている。この街道は京都と高野山を結んでいた東高野街道の脇街道で,、この道筋をたどる催しがあった。私も参加して「代官屋敷」の横を通っている道もその街道であることを知った。街道は正面に見える長屋門のところで直角に曲がり、京都方面へ続いている。 |
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代官屋敷B(交野市私部1丁目)05・05・10 36×51cm |
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北田家の母屋、表門、乾蔵、北蔵が重文に指定されたのは1979年(昭和54年)。蔵の棟札から1708年(宝永5年)から1734年(享保19年)にかけて建設されたとみられている。母屋は以前は萱葺きだったが、1984年(昭和59年)に銅板葺きに修理された。(交野市ホームページから) |
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札の辻(交野市私部1丁目)04・09・11 36×51cm |
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北田家の手前に「札の辻橋」という小さな石橋がある。かつては街道が交差するこのあたりで市が立ち、高札場も設けられていた。私部には中世に私部城があり、小さいながらも城下町が形成されていたらしい。私部の道の幅の狭さも城下町特有の伝統を引きずっているのかもしれない。 |
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私部の道は狭いが、なかでもこの路地は自転車でも走りづらい。ゴールデンウィークの一日、この路地でスケッチブックを広げていると、ネクタイ姿の若いサラリーマンが声をかけてきた。「いつもここを通りますが、こんなところでも絵になるんですね」「連休なのに仕事?住宅関係ですか」「今年入社したばかりで、マンションの営業です」「がんばってね」−−そんなやり取りをした。何だかとてもさわやかな気分が残った。
私部1丁目の路地(交野市)00・05・07 F8 |
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私部1丁目@(交野市)00年春 F8 |
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山根街道沿いの交差点からスケッチ。私部地区に限らず北河内地区の古い集落には豪壮な構えの農家が多い。土地が肥え、大消費地にも近いため、昔から換金作物の栽培に有利だったのだろう。 |
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初めて北田家の長屋門のスケッチに挑戦した。道幅が狭く文字通り身の置き場がない。しかも門は巨大なため、画面に納めるのにずいぶん苦労をした。
代官屋敷A(交野市私部1丁目)94年秋 F8 |
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細い路地から、代官屋敷の建物を描いた。手前の家は最近建て替えられ、少し様子が変わっている。
代官屋敷@(交野市私部1丁目)91・10・10 F6 |
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交野市郡津へ |
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