|
京都府 |
|
|
|
|
|
河原町丸太町付近(京都市上京区) |
|
|
|
|
|
京都市の目抜き通りである河原町通と丸太町通の交差点付近。ちょうど上京区と中京区の境目あたりに位置し、東北には京都御苑の森が広がっている。鴨川の左岸は左京区。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
丸太町橋の下から(京都市左京区・上京区)19.08.10 23×41㎝ |
|
|
この日、悠彩会スケッチ会終了後に荒神口の京都府立文化芸術会館で開催中の日本水彩京都支部展を覗いた。レベルの高い大型の水彩画を鑑賞した後、京阪電車の駅に戻るべく荒神橋を渡っていて鴨川畔の風景に魅力を感じた。橋の下に入れば涼しかろうと荒神橋の下へ行ったが、目の前に草が茂って水面がよく見えない。それならと1本下流の丸太町橋の下へ行った。ここも水面は見づらかったが、容易に河原の砂の上へ降りられ、そこからは二条大橋あたりの風景が見渡せた。橋の下は風が吹き抜け、いかにも涼しい。川の中を子供たちが走り回っている。暑い一日のスケッチの仕上げには快適な場所だった。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
山紫水明処(頼山陽書斎)(京都市上京区三本木)2017.11.02 F6 |
|
|
先日、京阪電車・神宮丸太町駅で下車したとき、鴨川の丸太町橋上流に茅葺き屋根の家が見えた。「こんな所に何だろう」と思って調べてみると、江戸時代の儒学者・頼山陽の旧居の書斎兼茶室だそうだ。頼山陽は32歳で京都に来て、何回も転居したが、いかにも見晴らしのよいこの場所で晩年を送り、その書斎を「山紫水明処」と命名したという。この家のある鴨川の西岸の「三本木」は江戸時代に花街として栄えた。桂小五郎に尽した幾松もここに住んでいた。京都の町は思わぬ所に思わぬ歴史が潜んでいて面白い。向かい側の鴨川東岸に座ってスケッチした。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
新島襄旧邸(京都市上京区)2017.11.02 F6 |
|
|
鴨川畔で頼山陽旧邸を描いた後、近くの寺町通丸太町上ルにある同志社の創立者・新島襄の旧邸へ行ってみた。1878年に私邸として建てられた和洋折衷の住宅で、京都市指定有形文化財となっているとか。自由に見学できるが、内部には入らず、寺町通に面した門と敷地内に建つ同志社校友会の新島会館を描いた。そういえば私も校友会の会員のはずだが、一度中に入ったことがあるかどうかの記憶しかない。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
旧・京都中央電話局上分局(京都市上京区)2017.10.27 F6 |
|
|
この日は知人が出展する展覧会が京都・寺町のギャラリーで開かれているので、スケッチブック片手に出かけた。いつもと気分を変えるため京阪電車で神宮丸太町駅まで行った。地上に出ると鴨川の対岸におしゃれな近代建築が建っている。旧・京都中央電話局上分局の建物だそうで、今はスーパーとして使われている。大正時代に建てられ、京都市の登録文化財になっているそうだが「昔の電話局ってずいぶん立派だったんだなあ」と思いながら描いた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
下御霊神社(京都市中京区)2017.10.27 F6 |
|
|
今年5月の悠彩会スケッチ会のとき、寺町通丸太町下ルにある下御霊神社の崩れかけた土塀が印象に残っていたので、河原町通を越えて行ってみた。ところが行ってみると、まったく新らしい塀ができつつあるではないか。工事をしている人に聞くと、もともと京都市の補助金を得て修復することになっていたが、先日の台風で壊れてしまったので、いちから作り直しているとのこと。塀の続きにある土蔵は漆喰壁の一部がはがれ、いかにも風情があるので、工事中の塀と組み合わせて描くことにした。2人の職人さんがとても楽しそうに仕事をしている。時々笑い声まで聞こえてきて、こちらまで楽しい気分になり、その姿を絵に描き込むことにした。「土蔵の壁も塗り替えるのですか」と聞いてみたら、市の予算がそこまではないので工事は見送りとか。何だかほっとした。 |
|
|
|
|
|
京都市中京区・夷川通へ |
|
|
「近畿の旅1」(兵庫、京都)の目次へ |
|