京都府

島原(京都市下京区)

「島原」は足利義満の時代につくられ、豊臣秀吉が公認したという由緒ある「廓」である。もともと二条柳馬場付近につくられたが、御所に近いということで六条坊門(現在の東本願寺北側)に移転させられ、さらに江戸時代に入って「朱雀野」と呼ばれていた現在地に移転を迫られた。あまりにもたびたび移転させられたので、その様子が「まるで各地を転戦した島原の乱のようだ」として、「島原」と呼ばれるようになったとされる。

島原・輪違屋(京都市下京区) 09.11.27    F6
島原では「揚屋」の角屋が国の重要文化財に、「置屋」と「揚屋」を兼ねた輪違屋(わちがいや)は京都市の有形文化財に指定されている。輪違屋は300年以上の歴史を持ち、今でも現役で営業しているそうで、入口には「観覧謝絶」との札が出ていた。現在の島原は2軒の文化財以外は生活感あふれる普通の下町のようであった。
この日は季節外れの暖かさ。この近くで開かれるコンサートの開幕までの時間調整にスケッチしたが、夕方遅くなっても、少しも寒さを感じなかった。






島原・角屋(京都市下京区) 09.11.27    F6
「輪違屋」に続いて「角屋」(すみや)を描いた。重要文化財に指定されているこの建物は現在「角屋もてなしの文化美術館」として公開されている。以前、スケッチしようと思って出かけたが、正面からみると大きな箱型の建物で、前の道は狭くて「引き」がないためあきらめたことがある。斜めからみると、向かい側の建物に変化があり、紅葉した木に季節感もある。

(おまけ旧国鉄二条駅舎(京都市下京区)09.11.27    F6
旧国鉄二条駅舎が、梅小路蒸気機関車館の資料展示館として定年後の第2の生活を送っている。旧二条駅舎は1904年(明治37年)、旧京都鉄道(今の山陰本線の一部を経営、1907年に国有化)の本社社屋を兼ねて建設されたもので、1996年(平成8年)、山陰本線の高架化に伴ってその役目を終え、蒸気機関車館に再就職した。もちろんこの建物は島原にあるわけではないが、島原から七条通りを越えた至近距離にあるので、ついでにスケッチした。

京都市伏見区伏見稲荷参道へ
「近畿の旅1」(兵庫、京都)の目次へ戻る