滋賀県

勝野(高島市)

旧・高島町は大溝藩2万石の城下町だった。湖東には城下町も多かったが、湖西では唯一。町の中心部には古い建物の数はあまり多くないものの、城下町時代の町割りが残っている。05年1月、高島郡の5町が合併して高島市となった。

福井弥平商店(高島市勝野       2015.06.04    F6
息子から滋賀県で入手した「れもん酒」という日本酒がとてもうまいと聞いた。調べてみると高島市勝野にある福井弥平商店が造っている。高島市鵜川でスケッチしたあと勝野へ行き、この酒を買ったついでに、その造り酒屋の建物も描いた。実は93年10月にこの酒屋の向かい側にある福井家を描いている(↓の絵)。その時に造り酒屋も描こうかと思ったが、実現しないままになっていた。それから20年以上が経過している。

勝野の町並み(高島市       2015.06.04    F6
高島市勝野もう1枚描こうと思い、以前は国道だったメーンストリートの一筋西の通りに行った。この通りの真ん中に水路が走っており、何となく城下町の遺構らしい雰囲気がする。この場所でも以前描いたことがあるが、前回のは反対の北向きに座った。

乙女ヶ池(高島市勝野)11.10.28       36×51cm
畑でのスケッチの帰り、近江高島駅近くにある「乙女ヶ池」に立ち寄った。以前、湖西線を走り抜ける特急「サンダーバード」の車窓から、岩国の錦帯橋を連想する凝った橋が架かるこの池を見て、一度訪ねてみたいと思っていた。乙女ヶ池という思わせぶりな名前の由来は知らないが、もともと琵琶湖の内湖の一つで、戦国時代にこの地に築城された大溝城の外堀としても活用されたという。今はブラックバス釣りの名所だそうだ。水際まで近付くことができたので、水面に映る家々を端から描いた。

勝野@(高島町=当時)93・10・23       ワトソンF8
湖東の町々には「うだつ」がかなり色濃く残っているが、湖西ではおそらく高島だけにしか残っていないのではないか。勝野にあるこのお宅(旧福井家)はいろんな本にも取り上げられている。西山卯三著「滋賀の民家」によると、織田信長から領地を拝領したという旧家の本家で、多少改造はされているものの築300年以上の建物という。絵を描いた当時は国道161号線がまだ町の中心部を抜けており、その道に面してきわめて目を引く存在だった。(現在は高島市商工会により「たかしまびれっじ」として運営されている)

勝野A(高島町=当時)04・07・12     F6
旧国道から一筋裏通りに入ると真ん中に水路がある通りに出た。近くに旧紺屋町の碑が建っていたから、城下町で染物屋を営んでいた家が軒を連ねていた町かもしれない。

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