富山県

八尾(富山市八尾町)

「おわら風の盆」で有名な八尾(やつお)は富山平野が飛騨山地にかかるあたりに位置し、浄土真宗・聞名寺(もんみょうじ)の門前町としてスタートした。その後、越中と飛騨を結ぶ交通の要衝として、蚕種、生糸、和紙などの集散地として栄えた。その繁栄が重厚な家並みを生み、現在に引き継がれている。町並みは井田川と別荘川という二つの川に挟まれた尾根上の高台に広がっている。以前は井田川沿いの低地に八尾村があったが、江戸時代の初めに洪水によって壊滅的打撃を受けたため、聞名寺のある高台へ移転した。これに伴って川に面した斜面に壮大な石垣が築かれ、「坂の町」「石垣の町」と呼ばれる独特な景観を生んだ。1953年以来独立した八尾町だったが、いわゆる平成の大合併で2005年4月に富山市の一部となった。

西町の石垣(富山市八尾町西町)       2015.06.14    36×51p
「石垣の町」として知られる八尾へはぜひ一度訪問したいと思っていたが、いらかぐみの七ちょめさんが金沢オフ会のあと八尾に泊られるというので便乗させてもらうことにした。また、知人で八尾出身のMさんがたまたま帰省しておられたので、厚かましくも案内をお願いした。金沢駅から富山駅経由で高山本線の越中八尾駅へ。駅前からMさんの車で町内を一巡、スケッチポイントを下見するという贅沢さである。宿に荷物を置き、さっそく代表的な景観である「西町の石垣」が見渡せる「禅寺の坂」へ行った。2年前に整備されたという展望台があり、後方から夕陽が当たり、遅くまでスケッチできる。翌日の天候に多少不安があったので、夕暮れまで懸命にスケッチした。絵の中央に大きく見えるのが聞名寺の屋根である。

「宮田旅館」(富山市八尾町西町)     2015.06.15 
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八尾では西町にある「宮田旅館」に泊まった。「みやた」ではなく「みやだ」と読む。普段は静かな八尾の町だが、5月初めの「曳山祭」と9月初めの「おわら風の盆」という超有名な2つのイベントがあり、以前は経済活動も活発だった。江戸時代から続くこの旅館も、そうした町の歴史とともに歩んできたのだろう。左側の入り口を入ると、旅籠然とした昔ながらの上がり框があり、頭上には見事な梁組があった。この宿は俳優でタレントの柴田理恵さんのお母さんの実家でもあるとか。

七ちょめさんの「宮田旅館」のリポートはこちら

五十郎坂から(富山市八尾町西町)       2015.06.15    F6
八尾の2日目。梅雨の最中なので天候を心配していたが、嬉しいことに朝起きると爽やかに晴れ上がっている。朝食後さっそくスケッチを開始した。昔、五十郎という力持ちが米俵を何俵か担いで上ったとされる「五十郎坂」が午前中は日陰になるので、その坂の途中から「西町の石垣」を描いた。前日も描いた壮大な石垣を逆方向から眺める構図で、遠くには五箇山方面の高い山々が霞んでいる。石垣を挟んで上下2段になっている家並みが面白いが、それにしてもサイズのそろった丸い石を延々と積み上げた石垣の迫力には驚く。一つ一つ石を積み上げた先人はずいぶん苦労したと思うが、その石垣をそれらしく表現するのもけっこう大変だった。

諏訪町本通り(富山市八尾町諏訪町)       2015.06.15    36×51p
「西町の石垣」を描き終わって次のスケッチポイントへ移動中、Mさんが車でやって来られた。「スケッチはどんな様子か確かめに来た」とのことで、歩けば相当距離がある一番上手の諏訪町へ連れて行ってもらった。古い町並みがかなり色濃く残っている八尾だが、なかでも諏訪町の本通りが一番よく整備されており、若いころを八尾で過ごしたMさんの一番のお薦めポイントであった。昔は職人町だったそうで、緩やかな坂道の両側に、千本格子や袖うだつの意匠で統一された家々が並んでおり、1986年に「日本の道百選」に選ばれた。スケッチ中に地元のテレビ局のロケ隊がやってきた。以前、スケッチ姿が番組で紹介されたこともあるが、今回は町並みを撮影するとさっさと引き揚げていった。

鏡町から(富山市八尾町)       2015.06.15    F6
諏訪町から鏡町へ移動した。鏡町はかつては花街だったそうで、三味の音が聞こえるこうした町があったことは八尾がとても繁栄していた証拠でもある。とても起伏に富んだ場所で、いかにも坂の町と呼ぶのにピッタリ。周囲を見渡し、そこから西の方向にある上新町方面を眺めて描いた。窓に特徴のある土蔵があり、その向こうには中国寺院を思わせる塔が見える。調べたら祐教寺というお寺のものだった。このあとMさんに教えてもらった明治25年創業という蕎麦屋・高野へ行った。うまかった。

「福鶴酒造」あたり(富山市八尾町西町)       2015.06.15    F6
八尾町の中心部に東町と西町がある。ともに富山藩時代には大店が並び、「旦那町」と呼ばれていたとか。宿泊した宮田旅館も西町にあるが、そこから50メートルほどの場所に清酒「風の盆」を造る福鶴酒造があり、周辺の町並みも感じが良いので、下見の時からここで描くことを決めていた。八尾の町並みはかなり修景事業が行われているが、ちょっと作り過ぎの感じがする諏訪町に比べ、西町の方が自然な感じで、生活感があった。道路の両側には「エンナカ」と呼ばれる側溝があって、足元から水の流れる爽やかな音が聞こえる。雪が積もったときには除雪に威力を発揮するという。

井田川畔から(富山市八尾町西町)       2015.06.15    36×51p 
朝早くから描き始めたので「もう十分に描いた」との気分だったが、時計を見るとまだ1時半。仕上げの1枚を描くため、ガイドマップに「石垣の家並みのベストビューポイント」とある、井田川畔の町民広場へ行った。目の前にまるで屏風を広げたように石垣と家並みが続いている。町民広場はその昔、高台移転前の八尾村があったという場所で、今は広大な駐車場になっている。帰る電車の時刻までに描けるだけ描こうと、2段になった家並みを端から描き始めた。高山本線は列車本数が少なく、越中八尾から富山行は午後3時台に2本、4時台は特急が1本しかない。しかも北陸新幹線の開通で、富山から京都、大阪への直通特急がなくなり、とても不便になった。またスケッチ場所から八尾駅まではけっこう時間がかかる。たびたび時計を眺めながらスケッチとなったが、何とか3時台の早い方の電車(3:16発)に間に合う時刻に、家並みをすべて描き終わった。おかげで、まだ明るいうちに京都駅まで帰り着くことができた。

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