兵庫県

旧居留地(神戸市中央区)

神戸の居留地は安政五カ国条約に基づき、外国人の居住・経済活動のために開発され、1868年(慶応3年)から1899年(明治32年)まで、外国人を中心に組織された自治機構によって運営された。返還後の旧居留地には大正から昭和初期にかけて日本の海運会社や商社、銀行などが進出し、ビジネス街として発展した。1988年以降、近代建築群の保存運動がおこり、神戸を代表するおしゃれな街に変身している。

商船三井ビル付近神戸市中央区)       2015.05.23    36×51p
南京町での悠彩会スケッチ会の最後の1枚を描くため旧居留地へ行った。場所選定にいろいろ迷った結果、海岸通(国道2号)の歩道に座って、神戸の旧居留地を代表する近代建築・商船三井ビル付近から遠くに六甲の山並みが見えるアングルを選んだ。薄曇りのため日差しは気にならず、背中から吹く海風が気持ち良いので、面倒なビルのディテールを丁寧に描いた。左手、道路の向かい側は海岸ビルである。

海岸通A(神戸市中央区)2014.03.30      36×51cm
この日は悠彩会スケッチ会が神戸で開かれた。あいにく雨である。スケッチはパスして、中華料理店で開かれた昼食会だけに参加したメンバーもいたが、私は雨が避けられるポイントが思い浮かんだのでスケッチを強行した。2月に神戸で描いた時、メリケンパークに行く海岸通の歩道橋に屋根があるのを知った。その時は寒くて日差しのない屋根の下なんかでは描けなかったが、3月下旬なら日影もOKである。2月に描いた絵(↓)とほぼ同じ構図だが、雨だからこれも仕方がない。というわけで楽しく丁寧に描いた。後日、出来上がった絵(→)を眺めていると、左側の海岸ビルの上部増築部分が何となくずんぐりむっくりしている。現地ではビルの階数など数えずに描いたが、写真で確認すると実際より1階低いことが分かった。仕方なく強力消しゴムを駆使して、最上部に1階増築した(↑)。


旧居留地第15番館(神戸市中央区)2014.03.30      F6
神戸での悠彩会スケッチ会の続き。昼食会を終わって外へ出ると、雨は止み日差しが出ている。せっかく神戸まで来たのだからと「旧居留地」と呼ばれている場所へ行き一番有名な「第15番館」を描いた。この建物は建築当初にアメリカ領事館として使用され、居留地時代に建設されて唯一現存する建物。国の重要文化財にも指定されているが、阪神淡路大震災で全壊、1998年(平成10年)に再び建設当初の姿に戻ったという。

海岸通@(神戸市中央区)2014.02.09      36×51cm
この日は神戸市役所24階の展望室から「ぬくぬくスケッチ」をしようと出かけたのだが、臨時休館だったので、仕方なく近くの海岸通へ行った。国道2号線でもある海岸通は旧居留地に含まれ、通りに面して、かつての神戸の繁栄ぶりを物語る近代建築群が並んでいる。左手前から神戸郵船ビル(旧日本郵船神戸支店)、海岸ビル(旧三井物産神戸支店)、商船三井ビル(旧大阪商船神戸支店)…。それはそれで描きごたえのある魅力的な風景なのだが、よく晴れ上がってはいるものの少し風が強く、ずいぶん寒い思いをした。

海岸ビルと商船三井ビル(神戸市中央区)2014.02.09      F6
海岸通沿いの風景を描いた後、海岸ビルの前へ移動した。海岸ビルは阪神淡路大震災で全壊、その後、高層ビルに建て替えられ、ビルの上にビルが乗っているような恰好をしているが、低層部に旧ビルの壁面が復元され、その旧外壁が国の登録有形文化財に登録されている。実は大震災で全壊するまで、昔勤めていた会社の神戸支局がこの海岸ビルに入居していた。ここで勤務した経験はないが、何かの用事で訪問した時、先輩からビルの1階にあったレストランでビーフシチューをごちそうになった。店の名前は忘れたが、豪華客船のレストランで腕を磨いたオーナーシェフの店で、貧乏サラリーマンでは滅多に口にできない味であった。そんなことを思い出しながら、隣の商船三井ビルとともにスケッチした。

神戸郵船ビル(神戸市中央区)2014.02.09      F6
少し遅めの昼食後、最初に描いた海岸通の神戸郵船ビル(旧日本郵船神戸支店)が面白そうなので、東側正面に座ってみた。しかしいざビルに向かい合ってみると、こういうテーマはいかにも安田泰幸さんの分野で、これまであまり描いたことがない。左右対称で真四角のビルをどう表現したらよいのか、ちょっと困った。左側遠くに国交省神戸国道事務所の紅白に塗り分けられた塔が見えたので、これを描き込んだら多少は変化のある構図になった。このビルは阪神淡路大震災の1年前に補強工事を行っていたため、周辺のビルが軒並み大きな被害を受ける中で、ほとんど無傷だったという。

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