奈良県

鷲家(東吉野村)

東吉野村の鷲家は伊勢街道(現国道166号)と和歌山街道の分岐点にできた小さな宿場町として栄えた。幕末に天誅組の終焉の地となったことでも知られる。

鷲家@(東吉野村)11.09.09     36×51cm
菟田野・古市場でスケッチしたあと、ひと山越えて東吉野村鷲家へ行った。町を車で一通り流したあと、一番家並みの整っているポイントで描いた。あとで聞けば、この家並みはそれほど古いものではないという。昭和30年代にこの場所にあった小学校が火事になって近所の家々も類焼し、この家並みはその後建てられたものだという。でもそんなころに、またこうした家並みをつくりあげたのもすごいことかもしれない。

鷲家A(東吉野村)11.09.09     F6
2枚目は伊勢街道と和歌山街道の分岐点の三差路で描いた。背後には「右いせ江戸」と刻まれた道標が建っていた。この絵の正面が伊勢方面で、突き当たりにいかにも古い建物が見える。しかし、町の中心部らしく、手前右側には自動車修理工場や酒屋、左側には郵便局などの新しい建物が目立つ。

鷲家から村役場のある小川に向かう県道脇に「天誅組終焉之地」という碑が建っており、碑の裏手から鷲家川を渡ったところに「天誅組総裁吉村寅太郎の墓」があった。





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