奈良県

竹内(葛城市=旧当麻町)

竹内(たけのうち)街道は日本で一番古い国道「大道」の道筋をたどっている。そう言われると、街道名にもなっている竹内集落も何だかとても歴史がありそうな気がしてくる。司馬遼太郎が少年時代を過ごした集落だそうで、「街道をゆく」に取り上げられているのを読んで出かけた。坂道の旧街道に沿って品の良い大和棟の民家が何軒か残っており、とても魅力的なスケッチポイントである。

竹内F(葛城市)15.01.28      36×51cm
暖かい日になったので、久しぶりに竹内を訪問した。取りあえずの1枚目は集落中心部の以前にも描いたことがあるポイントを選んだ。この場所は前とあまり変化がないと思ったが、アイストップになっていた突き当りの大和棟の家がおしゃれな家に建て替えられていた。司馬遼太郎は少年時代を竹内で過ごしたそうだが、左側の家並みの2、3軒後ろが「司馬遼太郎ゆかりの家」ということを知った。

竹内G(葛城市)15.01.28      F6  
この日の竹内での2枚目は坂道を少し上り、集落を横切る細流に架かる橋の上から描いた。竹内峠に向かう竹内街道に沿って建つ家々の様子がよく分かり、面白いと感じた。大阪と奈良を結んでいた竹内街道はその大部分が国道166号に吸収されているが、府県境の竹内峠付近の大阪側と奈良側で旧街道が残っている。竹内集落を通り抜ける部分は恐らく道幅などは昔のままだと思う。しかし、時代の流れの中で思わぬ場所が空き地になっていたり、近代的な家に建て替えられたりしていて、私がここでスケッチし始めてからでも景観は大きく変化している。

竹内の大和棟(葛城市)16.01.28      F6
竹内の魅力は坂になった竹内街道に沿って何軒かの大和棟の家が建ち並んでいることだった。なかでも集落の一番上の方にあるこのお宅は茅葺のままであり、1991年に初めてここを訪問した時に描いている(一番下の絵)。その後、茅が葺き替えられ、屋根の様子が多少変わっている。同じアングルでは面白くないので坂の上側から描いてみた。遠くには奈良盆地を隔てて三輪山あたりの山並みが見える。

竹内E(葛城市)07.08.23 36×51cm
この日は雲が厚かったので、本来なら西日が当たる竹内街道の道端に座って描くことにした。この場所は下のBとほぼ同じで、竹内でも一番気に入っている。画面中央の建物は古い民家を改装した休憩所になっていて、裏庭には松尾芭蕉の句碑が建ち、「綿弓塚」と呼ばれている。

竹内D(葛城市)07.08.23 36×51cm
できれば街道そのものを描きたいと思ったが、日陰がない。仕方なく庭先に大きな木がある場所で描くことにした。この場所はいかにも風格のある家並みだが、ここを通る道は残念ながら竹内街道そのものではなく枝道である。

竹内C(葛城市)06.01.27 36×51cm
久しぶりに竹内へ出かけた。下の絵をスケッチしてから5年も過ぎている。04年10月に当麻町と新庄町が合併して葛城市となり、この場所も「市」の一部になった。集落の一番上の場所にある大和棟のお宅に焦点を当てた。

竹内B(当麻町)00・12・09 F8
集落のちょうど中ほどのポイント。この絵を描いている間、いかにも悪ガキといった少年が行ったり来たりしていたが、ようやく完成しかけた時、近寄ってきて「まあまあの出来やな。くれ」と。

竹内街道は大阪府太子町から竹内峠を越えて奈良県側の当麻寺近くに出る国道166号線とルートがほぼ重なっている。竹内集落の部分は国道が迂回し、細い旧街道がそのまま村中を抜けている。いつの間にか古い建物が消え新しい建物も増えたが、何回も行きたくなるスケッチポイントである。


竹内A(当麻町)92・06・28       F8

竹内@(当麻町)91・11・30        F6
大和棟にもいろいろなタイプがあるが、このお宅は屋根の意匠と太目の格子がよく調和して全体に品格が漂っている。描いている場所に近所の方が「寒いでしょう」と言ってコーヒーを運んでくださった。

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