奈良県

大和郡山2(大和郡山市)

大和郡山の市内中心部は城下町だったころの名残でいかにも道幅が狭い。このため南北に延びる藺町(いのまち)では、何年もかかって道路の拡幅工事を進められ、この影響で取り壊された建物も多い。しかし、東西に長い本町を中心にまだ古い町並みも残っている。

   
  本町E(大和郡山市)2020.07.19    F6  
  梅雨の雨が長引き、しかも時々豪雨になるので、すっかりスケッチから遠ざかってしまった。この日は本来、悠彩会のスケッチ会が予定されていたのだが、雨予想で中止になった。しかし、思いがけずよく晴れ上がったので、思い立ってスケッチに出かけた。久しぶりに大和郡山市の本町辺りへ行き、元造り酒屋の中村家の土蔵が並ぶ路地を描いた。  
 
 
   
  本町F(大和郡山市)2020.07.19    F6  
  大和郡山市の本町は城下町づくりで最初に整備された町だそうで、かつて多くの造り酒屋があったという。しかし次第に廃業、中村酒造(右手前の家)が最後まで酒づくりをしていたが、ここもだいぶ前に酒造りを止めたようだ。しかしそれらしい風格のある建物なので、何回も描いている。今回もここを目的に出かけた。向かい側に日陰が確保できる場所は1ヵ所しかなく、有無を言わせぬアングルである。  
 
 
   
  藺町通り(大和郡山市)2020.03.02     F6  
  大和郡山市の中心部を南北に貫く「藺町(いのまち)通り」が通っている。旧遊郭の洞泉寺町へ向かう途中、その通りに面した家並みが何となく気に入り、帰りにこの日の2枚目とした。この道路はかつて古い民家が並ぶ狭い道だったが、再開発によって拡幅され、目抜き通りとなった。スケッチを始めて間もない1992年に、下に掲載しているとおり、この道路に面して建っていた「増田質店」を描いたことがある。その質屋さんは今回スケッチした場所の北隣にあった。  
 
 
   
  本町D(大和郡山市)2019.03.31   F6  
  悠彩会スケッチ会の続き。お城祭が開かれている大和郡山城で1枚描いた後、市街地へ移動した。以前描いたことがある本町の民家が最近取り壊されたと聞いた(下西康夫氏の情報)ので、そこを通りかかると、確かに家が1軒取り壊され、裏に隠れていた土蔵が顔を出している。これもいいかと思い、スケッチした。私より先か後か分からないが、ひまつぶしさんも同じ場所で描かれていたことが後日分かった。  
 
 
本町C(大和郡山市)    2015.07.30    F6 
絵の在庫が切れそうなので、暑い盛りだったが大和郡山市へ出かけた。目新しいポイントは思い浮かばず、ちょっと迷った結果、久しぶりに「やまと郡山城ホール」の裏手にある本町界隈へ行ってみた。以前描いたことがある一画(↓の本町B)を反対側から眺めるアングルを選んだが、道の南側にできた日陰が細く、道幅も狭い。日陰を確保するために仕方なく道路脇の溝の中に椅子を置いて座った。いつもよりずいぶん視点の低い絵になった。

本町D(大和郡山市)    2015.07.30    36×51p   
ずいぶん古い話だが、豊臣秀吉の弟・秀長が郡山城主になった1585年(天正13年)から城下町造りが行われ、「箱本(はこもと)十三町」と呼ばれる町々が整備された。各町には同業者が集められ、豆腐町、材木町、紺屋町といった町名は現在に引き継がれている。その十三町のうち最初にできたのが「本町」で、ここにはたくさんの酒蔵が立地していたという。明治以降、酒蔵の数はだんだん減ったが、最後まで残ったのが「中村酒造」で、その壮大な建物をこれまで何回かスケッチしている。今回もその酒蔵の前まで行ってみた。看板が掲げられ、酒林(杉玉)も吊り下げられているが、どうやら酒造りはやめられたらしい。白壁の建物が中村酒造で、手前の建物も立派なので両方を入れて描いた。

中鍛冶町(大和郡山市)    2015.07.30    F6
本町の「中村酒造」付近で描いたあと、その裏の通りへ行ってみた。この辺りは町名が細かく分かれており、一筋道が違うだけで中鍛冶町になった。空模様が怪しいのでちょうどそこにあった「龍厳寺」という寺の門に入れてもらい西の方向を描いた。手前に珍しい木造3階建てがあり、遠くに酒蔵の白壁も見えて、なかなか面白い構図・・・と思っているうちに雨が降り出した。『雨宿りを兼ねて描ける』と喜んでいたが、そのうち雨が次第に強くなり、やがて豪雨に。後ろにあった本堂の入り口に移動して、本格的に雨宿りさせてもらった。1時間近く足止めとなったが、今までの雨が嘘だったように晴れ上がったので再び門へ戻り続きを描いた。

本町B(大和郡山市)09.07.03   F6
「やまと郡山城ホール」の裏手にあるこの交差点の風景を一度描きたいと思っていた。道幅が狭いため玄関先に椅子を置く結果となり恐縮していると、その家のご夫妻が出てこられて、絵を褒めたうえ栄養ドリンクまで差し入れてくださった。

本町A(大和郡山市)06.03.27 36×51cm
この絵は一番下の「本町@」とほぼ同じ場所からスケッチしたもので、14年前当時からこの場所は空き地になっていた。今回は「空き地」を主役にして描いた。

堺町(大和郡山市)06.03.25 36×51cm
大和郡山の城下町にかつての城主・豊臣秀長の菩提寺・春岳院がある。その近くの堺町で、豪壮な町屋をスケッチした。絵に入り切らないほど(実際に絵からはみ出した)大きな土蔵を構えている。市内中心部は狭い町域が入り組んでおり、春岳院はこの家の裏にあるのにもうそこの町名は新中町である。
新聞販売店の軒先に椅子を置かせてもらった。その店の奥さんが「トイレはそこにありますから自由に使ってね」と言ってくれた。何よりの心遣いである。




紺屋町@(大和郡山市)92・04・25 F8
この絵には素晴らしい思い出がある。絵を描いていると一輪車に乗った小学生がやってきて、しばらく覗き込んでいたあと、どこかへ行った。やがて帰ってきて「暑いやろ。これ」と言ってアイスキャンデーを差し出すではないか。仕上げまで付き合ってくれて最後に「ウーン。立体的」と最高の褒め言葉をプレゼントしてくれた。道の中央の堀川は今も健在だが絵にした建物はもうない。

紺屋町A(大和郡山市)92・04・25 F8
東西に通る紺屋町の通りと交差する南北の通りに面してこの質屋があった。ちょうど絵を描き終わった時、店のご主人が出てきて「近く道路拡張で立ち退きになる。ぜひ絵を譲ってほしい」と懇願された。ちょっと心が動きかけたが、私自身で絵を保存することにした。今は広い道路になっている。

本町@(大和郡山市)92・04・29 F8
今は「やまと郡山城ホール」という立派な建物ができているが、その裏あたりの本町で描いた。造り酒屋らしい建物だが、隣りは空き地になっていた。どんな建物があったのだろうか。

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