滋賀県

日野(日野町)

日野は戦国時代の武将・蒲生氏郷の出身地であり、また近江八幡などとともに近江商人の発祥地としても知られる。「日野椀」とか「日野売薬」といった特産品をベースに行商で商圏を全国に広げ、財をなした。日野の町にはそうした商人の本宅だった邸宅が今でも残り、しっとりとした町並みが続いている。

   
  「綿向山」遠望(日野町)2018.09.06   36×51p  
  浪漫会の9月のスケッチ会が滋賀県の日野町で開かれた。滋賀県は田植えと稲刈りの時期がとても早い。日野へ向かう草津線や近江鉄道の車窓には黄金色の田んぼが広がり、すでにすっかり秋の雰囲気。「今日は1枚は田んぼを主役にして描こう」と決めた。日野の町並みの外れから東の方向に「綿向山」(1,110b)という姿の良い山が見える。手前の広々とした田んぼは「いかにも刈り取りを待つ」といった状態なので、両方を主役にして描いた。  
 
 
   
  「日野まちかど感応館」A(日野町)2018.09.06   23×41p  
  浪漫会スケッチ会の続き。自宅から日野へは京阪電車、JR奈良線、琵琶湖線、草津線さらに近江鉄道とバスに乗り継ぐ必要があるが、奈良線が4分遅れとなったため、不覚にも1時間に1本の近江鉄道に乗り遅れてしまった。ところが滋賀にお住まいのタマちゃん(児玉さん)から電車内へ電話があり「車で参加しているので日野駅まで迎えに行きます」とのこと。ありがたいことである。お陰でそれほど遅くならずに「日野まちかど感応館」(観光協会)の建物前に到着すると、メンバーの皆さんがズラッと並んで描いておられる。以前にも描いているが、皆さんと並んで描くのもまた楽しい。  
 
 
   
  「カフェ・らっこや」付近@(日野町)2018.09.06   F6  
 
浪漫会スケッチ会は台風21号の翌々日なのに9人もの参加があった。昼食は奮発して近江牛のレストランへ。スケッチ場所から少し遠いのでタマちゃんが車で2往復してもらった。何から何まで世話になった。午前中に大西さん、荒木さんの女性陣が描いておられた小路の構図が面白いので、食後に行ってみた。古民家を改造した「らっこや」というカフェのあたりである。



                                                写真は村木さんの撮影→→
 
 
 
   
  「カフェ・らっこや」付近A(日野町)2018.09.06   F6  
  なにしろ日野は遠いので、帰りもまたタマちゃんのお世話になり、2班に分かれて、先発組は近江鉄道・日野駅まで、後発組はタマちゃんの自宅に近い琵琶湖線・能登川駅まで車で送ってもらった。私は後発組に入れてもらったが、時間の余裕はあまりないので同じ「カフェ・らっこや」付近を反対側からメモスケッチした。右手の大きな三角屋根がそのカフェである。さて、琵琶湖線の電車に乗って草津駅まで来ると、近江鉄道、草津線を経由した先発組の皆さんが、同じ車両にどやどやと乗ってくるではないか。というわけで再会を喜んだメンバーが、いつものごとく京都駅の飲み屋で反省会を行った。  
 
 
「札の辻」あたり(日野町)09.08.20    36×51cm
実はこの絵が日野スケッチの締めくくり。日野町中心部に「札の辻」という三叉路があり、大聖寺というお寺の大きな建物がそびえている。高札場があった札の辻というからには、ここは古くから町の中心で、この風景が日野の町並みを代表するともいえそう。朝から気になっていたが、一日中、スケッチするための日影がまったくない。午後遅くなって陽の勢いも衰えてきたので、やけくそ気味に夕日を背にして描いた。

「日野まちかど感応館」@(日野町)09.08.20    F6
初めての訪問なのでスケッチポイントもよく分からず、とりあえず日野商人の主力商品だった「萬病感応丸」という薬で財を成したお宅を描くことにした。今は日野観光協会の事務所が置かれ「日野まちかど感応館」という施設になっている。日影を優先した結果、引きがなく、ちょっと無理をした構図になってしまった。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」という近江商人の理念を染め抜いた大きな暖簾がかかっていた。

「塗師安」(日野町)09.08.20    F6
日野町内の清水町というところに豪邸が並ぶしっとりとした町並みがあると聞き、行ってみた。日野商人の名前を高めた商品に「日野椀」があり、椀に漆をかける仕事をしていた「塗師安」という看板が出たお宅だあったので、2枚目に選んだ。スケッチできる日影を探していると、たまたまそこにいた外国の方が流ちょうな日本語で「ここでどうぞ」といわれる。あとで分かったことだが、米国人のモーア・オースティンさんで、本業はある財団の研修所教授だが、「塗師安」の向かいにある旧家に住み、町並み保存にも取り組んでおられるという。初めて訪問した日野での貴重な出会いであった。

18年9月に日野町へ行ってみると「塗師安」のお宅があった場所は空き地になっていた。火事があったそうで、手前の石組みだけが当時のまま。→→

「西大路曳山倉」(日野町)09.08.20    F6
この日、日野へ行った主目的はタマちゃんこと児玉紘一さんの日野の町並みスケッチ展を訪問すること。ついでにスケッチポイントも教えてもらおうという魂胆であった。展覧会を見たあと、タマちゃんの作品の中にあった西大路曳山倉を訪ねた。この倉の近くにある馬見綿向神社の祭礼「日野祭」が5月2、3日にあり、16基の曳山が町を練り歩くそうである。まだ見たことはないが、日野商人の財力に支えられた華麗な祭りであろう。曳山を家の中から見られるようにした「桟敷窓」をしつらえた旧家もある。

「這上り」(日野町)09.08.20    F6
日野町中心部への南側入り口に通称「這上り」という珍しい地名の場所があった。正式地名は大窪地区の一部だが、その場所に立っていた解説板によると、台地上にある日野の町に入るには、以前はこの場所にあった急坂を”這い上がる”必要があったため、こう呼ばれるようになったそうである。現在は這い上がる必要のない緩やかな上り坂だが、家並みが面白いのでスケッチすることにした。描きながら、かつて日野商人が全国を行商して歩いた結果、出世街道を這い上がっていったことを連想させる地名のような気がしてきた。

近江八幡市新町、八幡堀へ
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